2021-03-09

規制・構造改革に身を投じて約20年 フューチャー会長兼社長・金丸恭文の「国の制度設計にアーキテクチャーを!」


挑戦し続ける人生

 金丸氏自身はベンチャー企業出身。1954年(昭和29年)3月12日生まれで、78年神戸大学工学部計測学科卒。TKC、ロジック・システムズ・インターナショナルを経て、89年(平成元年)35歳で起業、フューチャーシステムコンサルティングを設立。同社はその後社名をフューチャーアーキテクトに変更、そして2016年に持ち株会社フューチャーに変更した。

 その金丸氏が規則改革推進会議や未来投資会議、そして今日の成長戦略会議などのメンバーに選ばれているのは、氏の生い立ちとも関係がある。

 ロジック・システムズ時代は30歳でコンビニ最大手、セブン―イレブン・ジャパンの一大システム改革プロジェクトを受注。

 1974年(昭和49年)、初めて日本にコンビニを持ち込んだセブン―イレブン・ジャパンの創立者・鈴木敏文氏は10年たった時点でシステム改革、今で言うDX化で新たな成長戦略を描いていた。

「消費者の需要を掘り起こせ」と独自の『業革(業務改革)』を推進する鈴木氏の気魄は激しい。

 POS(販売時点情報管理)をはじめとするデータ分析とその活用で、購買客がより便利さ・身近さを感じるようにした。また、弁当などの商品開発から製造、店舗での販売までの流れをつかみ、本部と店舗とのやり取りをデジタル化。ファックスでのやり取り、つまり紙のやり取りというアナログ型からデジタル型へとシステム構築のコンセプト(概念)を変革。

 作業スピードの速いISDN(総合デジタル通信網)をいち早く導入し、経営の生産性を上げ、収益力を高めたのもこのデジタル化によるものだった。

 こうした一連の改革を伴うシステムづくりを「4カ月でやれ」という当時の鈴木氏の指示。「とてもできない」と大手システム会社は尻込みしたが、「自分たちがやりましょう」と、その仕事を引き受けたのが金丸氏。

 1日の睡眠時間は3、4時間というハードワークの中でそれを達成。このときの体験もあって、金丸氏は35歳時の1989年(平成元年)に起業したという経緯。

 もう1人、金丸氏のアーキテクチャー能力を評価した人に渡文明氏がいる。資源エネルギー業界を代表する経済人で、旧日本石油(現ENEOSホールディングス)の事業構造改革に打ち込んだ経営トップ。

 渡氏は社長就任前から、構造改革に前向きで、国内約1万店舗のガソリンスタンドを通信ネットワーク化し、顧客サービスを拡大して顧客管理を徹底しようとしていた。

 金丸氏が起業した直後に、渡氏は大手システム会社ではなく、起業したての金丸氏にシステムづくりを発注。

 渡氏はその後、経団連副会長、同審議委員会議長、そして成城学園理事長として若い世代の教育にも尽力したが、昨年12月末、心不全で亡くなり、84歳の人生を閉じた。

「わたしが独立して、大企業からでっかい仕事を受注したのはエネオスが初めて。渡チームは明るくて、挑戦することをいとわないチーム。僕は駆け出しじゃないですか。大企業との競争の中で渡さんは、われわれを選んでくれた。それで全国のエネオスのPOSのネットワークを設計させていただきました」と金丸氏は渡氏に感謝する。

 人と人とのつながりである。

本誌主幹・村田博文

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