2022-12-31

【映画はどう変わるのか?】東映・手塚治社長に直撃!

手塚 治 東映社長

社長就任から2年半 コロナ禍・ネット時代を迎えて映画産業をどう変革・発展させていくか? 

「日本のアニメーションは世界がきっちり構築されており、キャラクターも奥が深い」─。こう語るのは興行収入186億円(2022年12月12日現在)、観客動員数1349万人(同)を突破したアニメ映画『ONE PIECE FILM RED』などを抱える東映社長の手塚治氏だ。コロナ禍で映画館と動画配信の在り方が変わり、撮影現場のデジタル化も進んだ。映画がどう変わるのか。その一方で映画が持つ不変の魅力とは何か。

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コロナ禍が変えた観る行為

 ─ コロナ禍で映画産業も大きな影響を受けました。この総括から聞かせてください。 

 手塚 1年目と2年目は映画館を閉めなければいけない時期もありましたので本当に苦しかったです。ただ今は劇場に人が戻って来ています。そして、ほぼ同時期に配信が大きく伸びてきました。配信については、コロナがなければもう少し時間がかかっていたかもしれませんが、今では年齢を問わず、高齢の方も普通に観るようになりました。 

 タブレットやスマートフォン、あるいは家庭のテレビを通じて配信されている映画を観て、時々、地上波を観るという時代に変わりつつあります。多くの方が配信で映画を観るようになったお陰で、映画館で映画を観ることの喜びを再確認されているのではないでしょうか。 

 ─ 逆にリアルでの映画鑑賞の価値が高まったと。 

 手塚 もちろん、画面のサイズや音響といった物理的な違いが要因ではあると思いますが、やはり人と一緒に同じ空間で観ることの価値が見直されたのではないかと。同じ空間で笑ったり、あるいは自分とは違うところで笑っている人がいたり。 

 感動して涙を流すときもそうですね。人が泣いていると、自分の感情も盛り上がってくる。それが映画館で映画を観る喜びの1つだと思います。いわゆる共有・共感です。それがより映画を面白くさせているのではないかと思います。 

 ─ 今後、配信と映画館との関係はどうなりますか。 

 手塚 若ければ若いほど(映画鑑賞は)情報収集という感じがします。配信では極端に言えば1・5倍速で観る若い人が増えているのです。それは効率的に少しでも多くのデータや情報を求めているからでしょう。一方で、映画館ではゆっくり鑑賞する。どちらでも良いと思います。要はお客様の使い分けになってくるのだろうと思います。 

 ─ 映画館の運営側からすると、もっと磨きをかけると。 

 手塚 そうですね。例えばアニメがあります。当社の作品で言えば、『ONE PIECE FILM RED』が大ヒットしていますが、もともとこれはテレビシリーズがありました。映画のヒットを受けて改めて配信でアニメを観て内容を再確認したり、初めての方は配信でアニメを観て、その世界を勉強した上で映画館に来るという流れなんです。


撮影所に投資する理由 

 ─ インターネット社会が人々の生活を変えていますね。 

 手塚 はい。我々にとっては以前も転換期がありました。1989年に劇場公開を前提としないレンタルビデオ専用の映画「Vシネマ」を世に出し、日本中にレンタル店ができました。当時、社内でも「これまでの映画館で観る映画はどうなるんだ?」という声もありました。それでも当社が先陣を切って始めたわけです。しかしフタを開けたらVシネマも映画館で観る映画も残っています。 

 さらに遡れば、テレビ局の開局もあります。確かにテレビができたとき、映画産業は大きく落ち込みました。その中でも当社は『仮面ライダー』に代表される特撮シリーズのテレビ番組を作り、育ててきたわけです。今も特撮シリーズは映画館で劇場版を公開していますからね。 

 ─ 新しいメディアが出てきたら、そこへ飛び込んでいくのが東映の伝統だと。 

 手塚 はい。もしかしたら将来、ICチップを埋め込めば映画が観れるという時代が来るかもしれません。しかし当社はそれでも別に構わないですし、困ることもありません。なぜなら当社は物語を提供する会社であるからです。物語を流す媒体は何であろうと構いません。 

 そのために、撮影所に投資をし始めました。22年から5年間で約20億円を東映東京撮影所(東京・練馬区)に投じます。この投資によってバーチャルプロダクションという撮影方法で撮影することが可能になります。ハリウッドでは日常的になっているものですが、日本の撮影所が自前で持つのは東映が初めてということになります。 

 ─ 新たな世界観を持った作品が出てくるのですか。 

 手塚 バーチャルプロダクションは巨大なスクリーンに背景となる映像を投影し、役者などがその前方で演技をします。両者を組み合わせることによって、あたかもその土地で撮影したような映像が実現できるのです。 

 ロケ地に行かずに撮影できますし、大掛かりなセットも不要です。今までにない合成技術を使いますから全く見たことのない新しい世界観を創り出そうと取り組んでいるところです。 

 ─ 映像に多様性が出るし、挑戦ができると。 

 手塚 そうですね。奥行きが出てきますし、実際の撮影でロケ地に行く手間もなくなり、天候にも左右されません。また、環境面にも優しい。リアルでセットを組んだら、それをバラして廃材が出てしまうのですが、それもなくなります。車での移動もなくなりますしね。SDGsにも通じます。 

 ちなみに、現在使っている当社の名刺は石で作った名刺になります。当社は製造業ではありませんので、SDGsに切り込む領域が少ないのですが、バーチャル撮影にしても、名刺にしても少しずつできる所からやっていきたいと思っています。


日本のアニメの魅力と強さ 

 ─ 石を素材にした名刺というのも珍しい試みですね。名刺の裏にはQRコードも印字されていますね。 

 手塚 はい。スマホで読み取れば映像データが出てくるようになっているのですが、現在は23年1月27日から公開される『レジェンド&バタフライ』の映像が流れます。織田信長と美濃の濃姫を題材にした作品です。先日も織田信長役の木村拓哉さんが岐阜を訪れて話題になっていましたが、想定を超える大きな話題になると期待しているところです。 

 ─ コロナ禍で我慢してきたことで、お祭りのようなイベントを望んでいるわけですね。 

 手塚 そう思います。こういったお祭り自体が3年振りの開催になりましたからね。このときの岐阜の「信長まつり」では岐阜市民だけでなく、日本中の人がテレビを通してお祭りに参加したのではないでしょうか。 

 ─ 先ほど話題に出たアニメですが、このアニメの強さとは何だと考えますか。 

 手塚 まずは大ヒット作品はテレビシリーズで長く展開していたということがあります。『ONE PIECE』に関していえば、23年に及ぶ歴史があります。原作の認知のベースがあるということです。そしてコロナ禍で配信を使って手軽に観ることができるようになりました。 

 当時観ていた人も観ていなかった人も改めてアニメの世界観をシリーズから学べるようになったわけです。そしてより一層、キャラクターの魅力を知り、世界観の深さを知ると。もはやアニメは年齢を超えています。 

 それだけ日本のアニメーションは世界がきっちり構築されており、キャラクターも奥が深い。シリーズの展開に耐える作品を作っているわけです。遡れば手塚治虫さんの漫画では長いストーリーを1コマ1コマ、自由自在のサイズで描き、キャラクターがコマを突き破ってジャンプしたりする。こういった表現は日本独自のものになります。 

 ─ 海外ではそういったものではなかったのですか。 

 手塚 ええ。米国のコミックスはマスがきっちりしていました。その後、日本の漫画の影響を受けて変わってきています。そういう意味では、日本の紙に書かれたコミックスや漫画の懐の広さ。あるいは作り手の裾野の広さや山の高さというものがあってこそだと思います。これは世界でも抜きんでたものです。 

 ─ 23年3月期も増収増益を見込んでいますね。 

 手塚 『ONE PIECE』など諸先輩方が作り続けた積み重ねの中に今の我々がいます。良いタイミングで私はこの仕事をさせてもらっています。この機を捉えて大型の投資もし、制作力の強化を図っていきます。東映の直接製作作品を増やすという意味も兼ねて22年7月には大きな組織変更も行いました。 

 ─ このポイントは? 

 手塚 今までなかった「映画編成部」という部署を新設しました。主な仕事は年間ラインナップを定め、年間の製作費や年間の興行成績の目標を立てていく部署です。この下に企画や宣伝、営業が入るイメージです。 

 ─ 今までは目標を定めてはいなかったのですか。 

 手塚 ええ。1本ごとに目標値を設けていましたので、今後は年間の売上高の目標を定めていこうと。そうすることによって撮影所の稼働率などコスト管理にもシビアに取り組むことになります。テレビ作品も減ってきていますので、撮影所で配信専用の作品を受注するなど、稼働率を少しずつ高めていきます。


『スケバン刑事』が最初の仕事 

 ─ さて、手塚さんは漫画家の手塚治虫さんと同じ読みですね。お父さんが手塚さんのファンだったのですか。 

 手塚 思いついた名前が「おさむ」で、その後に手塚治虫さんの存在を知ったという順序だったらしいです。卒業式で名前を呼ばれるとき、私が一番笑われました(笑)。子供の頃は嫌でしたが、この数年では一発で覚えてもらえるのでいいかなと。 

 ─ 大学を卒業して映画の世界に入ろうと思った動機とは。 

 手塚 高校生のときに映画研究部に入っていました。当時はまだ8ミリ映画フィルムで撮る時代です。現像が上がってきて映写機にかけるまでタイムラグがありました。そこで映写したらピンボケしていたり、露出が合っていなかったりで、また撮り直す。10人ぐらいの部員だったんですけど楽しかったですね。 

 30分の映画を作るのに1年ぐらいかかりました。そして完成した映画を土曜日の午前中の授業が終わった後に視聴覚教室で公開するのですが、誰も観に来ないのではないかと話していたら、意外や意外、教室が満室になり、立ち見や床に座って観る人も。40人の定員の教室に200人ぐらい入っていました。 

 教室に入れなかった人からは「次回を待つから」と言われたりして2回目の上映もしました。強烈な体験でした。これがきっかけで映画は面白いと。映画の撮影では仲間とケンカするときもあります。でも仲間と作ることが面白いのです。そして平凡な日常がフィルムで撮って映写すると、なにやらキラキラ見える。これは一体何だろうと。 

 その後、東映に入社し、最初に配属されたのがテレビ企画営業第一部。そこで初めて担当したのが『スケバン刑事』。斉藤由貴さん、南野陽子さん、浅香唯さんと3代続けて担当しました。自分の作品が大ヒットしたときは本当に嬉しかったですね。

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