2022-12-31

木下財団・大久保政彦理事長が語る「障がい者とその家族に生き甲斐を与えるボッチャ」

白いジャックボールと呼ばれる目標球に少しでも近づけるため、赤・青それぞれの6球ずつのボールを投げたり、転がしたり、他のボールを当てたりする。そんなスポーツがあります。「ボッチャ」です。パラリンピック正式種目で重度脳性麻痺者を中心にした四肢障がい者が対象の種目。

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 木下財団は障がいを持った方へのボッチャの普及と振興に努める日本ユニバーサルボッチャ連盟の活動を支援しています。ボッチャの選手は身体のどこかに重度の障がいを持っているため、思ったことができない人ばかりですが、ボッチャは障がいの有無なしに老若男女、誰もが一緒にできます。私も彼らと勝負したことがあるのですが、勝てた試しがありません。凄まじい集中力を発揮し、絶妙な力加減で精度の高い転がし方をするのです。おそらく厳しいトレーニングを重ねて強靭な精神力を養っていくのでしょう。

 ボッチャでは2020年東京パラリンピックに出場したパラリンピアもいます。それが杉村英孝選手です。先天性の脳性麻痺だった杉村選手は握力が7~8キロしかありませんでしたが、高校3年生のとき、学校の教師に見せてもらったビデオをきっかけにボッチャを始め、ついには金メダル選手となりました。

 ボッチャを支援していて、とても嬉しくなるのは障がい者である彼らが人生の生き甲斐を見つけてくれる瞬間に立ち会えることです。さらに言えば、その家族にも喜んでもらえる。人の可能性を強く感じることができるスポーツこそボッチャなのではないかと思っています。

 欧州で始まったボッチャを日本に輸入したのが前出した日本ユニバーサルボッチャ連盟の理事長を務める古賀稔啓さんでした。養護学校の教員だった古賀さんは1994年にロンドンの脳性麻痺の選手の世界大会に参加した際にボッチャと出会い、帰国後、新しいスポーツとしてボッチャを日本に紹介しました。

 ボッチャと私が出会ったのはその翌年の95年のこと。古賀先生の教え子の1人である日本体育大学非常勤講師の渡辺美佐子先生と出会ったときです。ある大学の教授から「会って欲しい人がいる」と頼まれて渡辺先生と会いました。すると、私を見つけた渡辺先生は走り寄ってきて開口一番、「協力してくださるそうでありがとうございます!」と言ってきたのです。最初は何のことか分からず、目が点になったことを覚えています。

 その後、詳しくお話を聞き、選手のプレーする姿を見ていくと、ボッチャの可能性を強く感じるようになりました。障がい者も健常者も一緒に楽しめる競技であること。障がい者の生きる糧になり得ること。そんなことを確信することができたのです。すぐに財団の理事たちを説得して助成を始めました。

 なぜ木下財団が支援に動くのか。それは木下財団が障がい者の支援に精力的に取り組んでいた背景があります。木下財団創設者の木下茂は太平洋敗戦の焦土の中、自らの直筆の設立趣意書で次のように記しています。「戦後、日本が再興する途は私たち自身の持つ能力と復興しようとする意欲でもって経済力の充実と民生の安定を図るしかない」。まさにこの「民生の安定」が障がい者支援なのです。

「生まれて来てくれてありがとう」─。ボッチャに取り組む障がい者の姿を見たご両親が発したセリフです。人間には無限の可能性があります。それは障がい者も同じです。今後もこの可能性を掘り起こすために支援することが当財団の使命だと思っています。

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