2021-01-15

松井証券・和里田聰社長「対面証券とネット証券の境目はなくなっていく」

和里田聰・松井証券社長

わりた・あきら
1971年6月東京都生まれ。94年一橋大学商学部卒業後、プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク(現・P&Gジャパン)入社。98年リーマン・ブラザーズ証券入社、99年UBS証券入社、2006年松井証券入社、2011年常務取締役、19年専務取締役、20年6月代表取締役社長に就任。

25年間、社長を務めた松井道夫氏は、老舗証券会社・松井証券を日本初のネット専業証券会社に生まれ変わらせて、業界に旋風を巻き起こしてきた。その経営のバトンを受け継いだのが和里田聰氏。「お客様視点で、課題解決のソリューションを提供できるかが問われる」と話す。カリスマの後を引き継いで、いかに会社のカジ取りを進めていくのか──。

リモートでの顧客接点は常態化する


 ── コロナ禍は我々の仕事、そして生活のあり方も変えました。どう捉えていますか。

 和里田 感染した人が増えて出社できない社員が急増するという想定はあっても、元気な人同士すら接触できないという制約は想定にありませんでしたから、新しいことずくめでした。当社でも対策本部を立ち上げて、未知の存在であるコロナに対応してきましたが、それによってリモートワークの環境整備などが一気に進んだ面はあります。

 株式市場は経済の体温を示す重要な役割を果たしており、マーケットが開いている限りは常に投資家を市場につながなければなりません。その意味で、当社は「エッセンシャル(必要不可欠)」なビジネスであるという認識のもと、緊急事態宣言下でも、前社長(松井道夫・現顧問)が従業員に理解を求めて仕事を進めてきました。

 ── コロナ禍で一時株価は急落しましたが、その後の上昇で個人のネット口座の開設が増えたそうですね。

 和里田 ええ。個人投資家のスタイルは逆張りなので、株価が大きく下落するということは、安い株価で投資ができますし、リバウンドで大きく上がるだろうという期待から、個人のお客様の取引が増加しました。

 既存のお客様の取引はもちろん、不稼働だった口座も動き出し、新規口座開設数も3倍に増加しました。ですから業績は相場の追い風もあり、今は堅調に推移しています。

 オペレーションの面でも、我々はウェブとコールセンターで進めていますから、お客様へのサービスのクオリティを落とすことなく提供できました。さらに、コロナが終息した後でもリモートでお客様との接点を持つということが常態化してくると思いますから、我々が先行している面があります。

 ── これからさらに顧客接点が変化することはありますか。

 和里田 これまでコールセンターは取引のルールがわからない、ツールの使い方を教えて欲しいといったサポートだけで、投資相談などはあまり受けていなかったのですが、今後は積極的に投資に関するお話をさせていただく拠点として生まれ変わっていくべきと考えています。

 対面が中心の証券会社もリモートによる顧客接点が一般化すると見ているようですから、今後は対面証券とオンライン証券との境目がなくなっていくのではないかと見ています。

 ── ネット証券としての良さを生かすことができたのがこれまでですが、それをさらに進化させていくということですね。

 和里田 ええ。我々は元々、ネット証券会社に転換する際に、お客様へのコンサルティングの提供をやめ、その代わりに手数料は安いという形で、取引の執行とマーケット情報の提供に徹してきましたから、投資相談、コンサルティングとなれば提供する情報の質が変わってきます。これは我々が手掛けてこなかった分野ですから、思い切った取り組みが必要になります。

業界に一石を投じた松井道夫・前社長


 ── 25年間社長を務めた松井道夫さんから社長を引き継いだわけですが、どういう思いがありますか。

 和里田 松井が健康である限り一生社長を続けると思っていましたから、少し意外ではありました。しかし、後任に指名された以上、お引き受けするしかないと思いました。

 松井証券は松井前社長が、1990年代に、既存の対面金融機関に対するアンチテーゼとして、受け身の営業に徹するコールセンターを通じた電話取引に転換し、その後、ネット専業の証券会社として、今の確固たるポジショニングを築いてきたというのが90年代後半からの動きでした。

 しかし今やネット取引は当たり前で、それを前提としてどうビジネスを構築するかという時代に変わりました。実際、異業種のIT企業、フィンテックベンチャーが参入し、対面金融機関もオンラインを強化するなど、競争のテーマが変わりました。まさに時代が変わったタイミングでの社長交代という認識です。

 ── 2006年の松井証券入社の経緯を聞かせて下さい。

 和里田 私は99年からUBS証券におり、同社が松井証券のIPO(新規株式公開)主幹事を務めた後、01年から私が担当になりました。その後、普通社債や転換社債の発行など資本政策に絡む案件を手掛けましたし、上場後の海外機関投資家向けIR(投資家向け広報)では、毎年のように松井社長に同行していました。

 そのような関係もあり、松井社長から「松井証券に来ないか」という話を頂きました。

 私自身としても、例えば03年に松井証券が「無期限信用取引」をネット証券として初めて導入した際、急激な残高増加を踏まえ、社債による調達を提案し、実際に主幹事を務めるなど、立場は違いますが、当事者のような感覚でしたから、会社に対する思い入れも強くなっていました。

 ネット証券のパイオニアで、アンチ対面証券・対面金融機関という面で胸のすく存在でした。そして例えば日本の大手である野村證券、大和証券を超えたいという同じ思いで戦っているというシンパシーを感じ、応援したいという気持ちもありましたから、だったら一緒になってやってみようと。

 ── 近くで見ていて、松井さんはどういう存在ですか。

 和里田 気迫、熱量が圧倒的に他の経営者と違いました。IRで一緒に投資家を回っても本気度が違うし、メッセージを伝える能力、ビジョンを語っていく力が非常に強かった。言葉の壁など関係なく、自身の熱い思いを伝えているのを目の当たりにして、さすがだなと感じましたね。

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