2022-04-24

祖国を守る覚悟に世界中の人たちが支援、「ロシア側はすでに敗れている」【私の雑記帳】

祖国のために命を捧げ

 祖国を守り抜く─。ロシアのウクライナ侵攻から2カ月近くが経つ。映像からは、むごたらしいウクライナ各地の惨状が伝えられ、胸が痛む。その中で、ウクライナ国民の踏ん張りである。

【あわせて読みたい】【ウクライナ危機】国際秩序、世界の政治経済はどうなるか、そして日本の立ち位置は?

 今回の侵攻に怒りを覚えるのは、何の罪もない人たちが命を落としていること。何より、お年寄りや子供たちなどの〝弱者〟が侵攻の犠牲となっている。

 戦争犯罪者だ─。米バイデン大統領は、ロシアのプーチン大統領をこう呼ぶ。国連の場でも、ロシアへの非難が相次ぐが、当のロシア代表は「西側のフェイクニュース(偽の情報)だ」という主張を繰り返すだけ。空しいやり取りが続く。

 しかし、ロシア側は国際世論の一斉非難を浴び、これには相当こたえているはず。ウクライナは欧州陣営のNATO(北大西洋条約機構)に加盟していないため、欧州各国と米国は今回の戦争に直接介入できない。

 しかし、欧米側は武器支援を続けており、ウクライナの対ロシア政府軍反撃に一定の効果を上げているようだ。ドローンによる小型ミサイル攻撃で、ロシア軍の戦車などが破壊されているとも聞く。

 何より、ウクライナがこの危機で持ちこたえているのは、その士気の高さによるものであろう。

 わが身を捨て、祖国を守る覚悟に、世界中の人たちが支援する。この段階でロシア側はすでに敗れている。ロシアはいつ、自らの過ちに気付き、反省するのか?

早大・田中総長の訓話に

 それにしても、リーダーの責任は重い。ロシアのプーチン大統領は戦争をひき起こした責任者だが、一般国民に罪はない。

 海外に在住するロシア国民も、「わたしたちも戦争には反対です」と平和を訴え、デモや集会に参加している。

 早稲田大学は3月25、26の両日に卒業式を開催。この中で、田中愛治総長は、「ウクライナから来ている留学生はどんなに心細いでしょうか。それを皆さん思いやっていただきたい」と呼びかけた。

 また、ロシアからの留学生にも触れ、「彼らは祖国をどんな思いで見つめているでしょうか。自分たちロシア人が、他の国々の人々からどう見られているか、不安に思っているのではないでしょうか。それぞれの立場を思いやっていただきたい」と語りかけた。

 なぜ、こうした理不尽な戦争が起きるのか?

「政治学を学んできた者としてはある程度、推測はできると。推測ができるだけに歯がゆさを感じます。無力さを感じます」と田中総長は心情を吐露。同時に、教育者として、「早稲田で学んだ者は誰一人、人の道に外れるようなことはしないように」と学生たちに訴える(トップレポート参照)。

 創立者・大隈重信は、「一身一家、一国の為のみならず、進んで世界に貢献する抱負がなくてはならぬ」と説いた。

 若者たちが〝理想の光〟を追い続けることを期待したい。

芝田浩二さんの生き方

 エアライン業務はコロナ禍にウクライナ危機が重なって、重大な影響を受けている。国際線の回復度は、コロナ前と比べて、「1割位」だとANAホールディングスの新社長・芝田浩二さんは語る。

 同社が危機管理と併せ、次々と新しい経営構造を模索する姿は、本誌前号(4月20日号)で掲載したが、芝田さんがインタビューで語っておられた言葉が印象的だ。

『行不由径』─。径(小道)に由よらず、大道を歩くことが大事という意味。

 論語に出てくる言葉だが、芝田さんはこの言葉を母校・東京外国語大学の恩師からもらったという。

 辞書を見ると、『行くに径に由らず』とあるが、「恩師の先生からは、行くとして径に由らずと読むんだと教わりました」と芝田さん。

 学生時代は空手の道に精進。中国語の担任だったその先生に空手部の部長になってもらい、「部活動も、そして勉学のほうも何とかやり、両立できた」と感謝する。

 大学4年時に休学し、2年間、在中国日本大使館で派遣員として働いた。1979年(昭和54年)のこと。日中国交回復から7年後、日中平和友好条約締結の翌年のことであった。

 北京の日本大使館での仕事は、残留孤児の調査資料の整理。第2次世界大戦の戦火の中で、大陸に取り残された日本人孤児を救うための下働きである。「ウクライナ危機と重なります」と芝田さんは当時の仕事を振り返る。

 航空産業の再生へ向け、『行不由径』の意味を噛みしめる芝田さんだ。

EPSが『新たな30 年』へ

 CRO(医薬品開発業務受託機関)の最大手、EPSホールディングスは2021年に創立30年を迎えた。創業者の厳浩さん(1962年生まれ)は母国・中国の国費留学生として1981年(昭和56年)に来日。山梨大学工学部を経て東京大学大学院医学系研究科を修了した後、1991年(平成3年)に起業。

 会社設立時は3人だったが、今や約7700人の社員を抱えるCRO最大手の会社に育てあげた。

 医薬品開発に欠かせないCROの他、CSO(医薬品販売業務受託機関)やSMO(治験支援機関)などの業務も手がける。

『日々新たに、また日に新たなり』─。同社が組織理念に掲げる言葉。EPSグループの歴史を見ると、常に時代の変化に対応し、自らを変えてきている。

 そして、厳さんが目指すのは、『よい会社』。その『よい会社』を実現するためには、『良い商品』、『よいビジネスモデル』、『よい組織』がなければならないと厳さんは説く。

サービスが商品

 EPSは、創薬ベンチャーではない。あくまでも医薬メーカーの新薬開発を支援するサービスが主業務。「サービスが商品」という経営観である。

「サービスという商品は、ひと言で言えば、つかみ所がない。そもそも目に見えないものです。そこで分かりやすく言えば、モノの商品に求められるものはというと、わたしは専門性だと思います。だから、モノが商品である創薬などもやはり専門性で勝負ということになる」と厳さん。

 それでは、よいサービスを作るためには何が必要なのか?

「わたしは専門性に対して、総合力が大事だと思っています。サービスという商品も、例えば臨床試験をより良くするために専門性が求められる。間違いなく専門性がなければ、商品として提供できません。しかしながら、専門性だけで、いいサービスは作れません。だから、モノの研究開発に比べると、より総合性が求められるということです」

 より相手の立場に立ったサービスの提供には、総合力と専門性の両方が必要という厳さんの指摘。何ごとも全体感、バランス感覚が求められる。

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