2020-12-17

日本赤十字社・大塚義治社長が語る「自然災害時の救護と感染症対応」

大塚義治・日本赤十字社社長

新型コロナウイルスの集団感染が発生した大型クルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』に医療チームを派遣した日本赤十字社。元・厚生労働事務次官で現在社長をつとめる大塚氏は「一人ひとりが正しい知識を取得し、正しく恐れ、正しく行動して、負のスパイラルを断ち切ることが大事」と指摘。全国で91病院、約6万人の医療従事者を抱える日本赤十字社の今日的意義とは──。

日赤の原点とは?


 ─ 今は新型コロナウイルスの感染症対策と経済活動の両立を図るという、非常に難しい時代となりました。まず、大塚さんは現在のコロナ禍でどういうことを感じていますか。

 大塚 本当に難しい時代になったと思うんですが、本題に入る前に申し上げたいのは、1952年(昭和27年)に制定された「日本赤十字社法」という法律があります。例えば、日本銀行法による日銀、日本放送協会法によるNHKと同じように、日赤は特別な法律によって、その存在が定められています。

 ─ 国が認めた公益的な法人だということですね。

 大塚 ええ。われわれの歴史を紐解いてみますと、日本赤十字社は1877年(明治10年)に設立された博愛社が前身となっていて、その後、日本政府のジュネーブ条約加入を待って、1887年(明治20年)に名称を日本赤十字社と改めました。

 この博愛社というのは、1877年に発生した西南戦争の折、佐野常民(つねたみ)と大給恒(おぎゅう・ゆずる)の両元老院議官らによって設立された救護団体です。西南戦争では、明治政府軍と西郷隆盛の薩摩軍の激しい戦闘が繰り広げられ、両軍ともに多数の死傷者を出しました。

 この時、佐野・大給の2人は戦傷病者を敵味方の区別なく救護すべきであると考え、ヨーロッパにある赤十字と同様の救護団体をつくろうと思い立ったというのが日赤の原点なんです。

 ─ なるほど。西南戦争で傷ついた傷病兵の救護というのが原点なんですか。

 大塚 敵味方関係なく、傷ついた者は同じ人間なんだということですよね。ここから始まって、その後、戦争で傷ついた人たちだけでなく、自然災害での救護も大きな役割として加わり、今日に至るわけです。

 今回わたしが改めて考えさせられたのは、日本赤十字社法の中にも、当時の言葉で「はやり病」と言われた、感染症対策のことが規定されているということなんです。戦時というのは、実は感染症と大きくかかわっていて、感染症にもきちんと対応しなくてはならないという側面があるのです。

 ─ 西南戦争の時も感染症は出ているんですか。

 大塚 当時はコレラが重なったそうです。先ほど申し上げた佐野常民という日赤の初代社長は医師でもあり、コレラの対策も陣頭指揮をとって対応に当たりました。

 日赤にはそういう歴史的な背景があるわけで、今回のコロナ対応に当たっても、全力で対応するというのは、われわれの当然の役目であるということを再認識したところです。

今も医療現場では大変な苦労が……


 ─ 具体的に日赤の活動が知られるようになったのは、2020年2月に横浜港・大黒ふ頭に着岸したクルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』の乗客・乗員に対する医療チームの派遣からでした。

 大塚 あの時はダイヤモンド・プリンセス号の船内で新型コロナウイルスの集団感染が起きたわけですけれども、政府から医療チームの派遣要請が最初にあった時には正直、わたしの心の中では逡巡がありました。

 どんな感染症なのかがまだ分からない。職員を派遣して、彼らの安全が守られるのだろうか。本当に大丈夫なのかと心配したのです。

 結論から言いますと、赤十字病院の関係者やスタッフが自ら「行きます」と言ってくれ、「それでは頼む」ということになりました。感染対策を徹底した上で送り出したわけです。この時は心から本当に頼もしいと思いました。

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