2020-12-16

旧・山一證券OBが立ち上げた新・山一證券の「提案型M&A」戦略

立川正人・山一證券CEO

「社員は悪くありませんから」─最後の社長の涙の会見とともに、4大証券の一角だった山一證券は消滅した。しかし今、同じ「山一證券」の商号で事業を行う会社がある。CEOの立川氏は山一證券OB。「会社に力があればいいブランドになる」と、創業家やOB組織など関係者の了解を取り付けて商号を復活させた。手掛けるのはブティック型のM&A。今後、立川氏が目指すものとは─。

伝統ある社名を復活させた理由


 1997年11月24日、それまで日本を代表する4大証券会社の一角だった山一證券が自主廃業を決めた。

 含み損を抱えた有価証券を損失処理せず、第三者に転売する「飛ばし」を繰り返したことで簿外債務が約2700億円にまで膨張。結果として自主廃業、会社は消滅した。

 だが現在、その「山一證券」の商号で事業を行う会社が東京都内にある。CEO(最高経営責任者)を務めるのは山一證券OBの立川正人氏。「会社を辞めてから、『山一證券とは何だろう? 』とずっと考えていた」と立川氏。

 立川氏が旧山一證券を去ったのは87年のこと。当時、営業企画部次長を務めていたが、前述の「飛ばし」の問題を社内で指摘したことで、上司で取締役だった吉田允昭(まさあき)氏と共に追われるように会社を辞めた。

 営業企画部は役員室と同じフロアに部屋があった。立川氏は辞める当日、「今日、私は会社を去る。そう遠くない日に山一の株はタダになるから、すぐに売った方がいい」と〝演説〟をしたという。当時、山一の株価は2000円前後を付けていた。破綻はその10年後のことだ。

 同年、立川氏は吉田氏が立ち上げたM&A(企業の合併・買収)助言会社・レコフの創業に参画。まだ、日本でM&Aが一般的でなかった金融危機の中、大手金融機関の再編などに携わり、レコフの社長も務めた。

 2004年には独立して、ブティック型のM&A助言会社「IBS」を創業。翌年には商号を「IBS証券」とし、11年に「IBS山一證券」、14年に「山一證券」に商号を変更したという経緯。

 このきっかけは、IBS山一證券の商号で仕事をしていた今から7年ほど前、立川氏が大手証券会社トップのアポイントを取った際、先方の秘書から「IBSはアルファベットでわかりますが、『山一』はどう書くんですか? 」と聞かれたこと。

 人々の記憶から「山一證券」の名が薄れていることを実感し、「山一の名前を使うなら、これが最後の機会かもしれない」と商号変更を決めた。

「社内に商号変更について話をしたところ、『縁起が悪いのでは? 』という意見も出たが、逆にそれなら使おうと思った。ブランドは知られていることが大事。会社に力があればいいブランドになる」と決断。

 ただ、不祥事もあって消滅した会社の商号を復活させる作業だけに、道のりはそう簡単ではなかった。それを立川氏は、旧大蔵省証券局長の長野庬士(あつし)氏、山一證券の創業家、OB会である「山友会」などを回り、協力を取り付けた。

コロナ禍で高まる企業の変革意欲


 前述の通り、現在の山一證券はブティック型でM&Aを手掛ける会社。近年、日本のM&A業界では事業承継などを手掛ける「マッチング型」が主流となっていた。それが今、コロナ禍にあって、「ビジネスモデルを変えたい」という企業のニーズが高まりを見せている。

 そこで山一證券が手掛けているのが「新提案型M&A」。「ファンド」、「情報」、「ヘルスケア」をテーマに、金融、流通、製造、インフラ業界をターゲットとしてビジネスモデル変革を目的としたM&Aを提案していく。

 当初、立川氏はコロナ禍で顧客との面談もままならない中、1年ほど事業が停滞する可能性もあると見ていた。だが、事態は逆に動いた。メールではなく敢えて手紙を出して顧客の状況を探ると、「提案を待っている」という反応が即座に、数多く寄せられ、スケジュールは一気に埋まっていった。

「コロナ禍と、デジタル化の浸透でトップと現場の距離が縮まった会社は経営のスピード感を増している。今後5年から10年の間、ビジネスモデル変革を目的としたM&Aが増えるのではないか。これは山一證券が自主廃業した後の忙しさ、肌感覚と似ている」と立川氏。

 近年のM&Aは法律面の整理など事前の手間が多く、大手はチームの組成、準備に時間がかかる。山一證券の強みは、立川氏を中心に約
20人という少数精鋭で、他の大手よりも機動力を持って動けること。

 かつて、一部の山一OBの間には法人向け業務だけでなく、個人向け業務も手掛ける総合証券会社としての山一證券復活を模索する動きもあったが、現在、立川氏はこの問題をどう考えているのか。

「個人向けは手数料無料など体力勝負になっており、今は後発の我々が入り込む余地がない。一方、法人向けはやり方次第」と立川氏。まさに「法人の山一」で生きていく方針。

 20年11月には東京・兜町で平和不動産が開発しているオフィスビルに移転。「兜町に山一證券が帰る、ということは明確に意識している」(立川氏)。

 これまで立川氏は三菱東京フィナンシャル・グループによるUFJホールディングスの合併や、富士ソフトABC(現・富士ソフト)による東証コンピュータシステムの買収など数多くの案件に関わってきた。「今後も大企業を中心としたM&Aに携わっていきたい」と話す。

 伝統の商号だけでなく、今の時代に合わせた姿で生まれ変わった山一證券。「小粒でピリリと辛い」、M&Aの裏方として存在感を高めていく考えだ。

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